86歳芸子、立つ 「長崎座敷唄伝えたい」

◎桃勇さん 新流派初代家元に
 日本三大花街の一つに数えられた長崎市丸山町のベテラン芸子、桃勇(ももゆう)さん(86)=本名・浦田モヨ=が24日、座敷唄の新しい流派「長崎座敷唄桃勇流」を旗揚げし、初代家元に就任した。時代の流れとともに消えつつある座敷唄。「伝統を後世に伝えたい」と、米寿の挑戦をする。
 この日、市内で開かれた長崎歴史文化協会(越中哲也理事長)の長崎学講座で、桃勇さんは三味線を弾いて「長崎小唄」や「長崎甚句」を披露した。
 会場には約60人が詰めかけ、立ち見も出る盛況。弾き終えた桃勇さんは「今は宙に浮いているような気持ちです。こんなに多くの人に集まって一緒に歌ってもらい、本当にうれしい」とほほえんだ。
 桃勇さんは長崎市出身。1938年から丸山の置屋に入って踊りや三味線の修業をし、45年、丸山東検番(料亭などへ芸子を取り次ぐ事務所)からお座敷に出るようになった。丸山東検番は、小説「長崎ぶらぶら節」の主人公のモデルとなった人気芸子「愛八」もかつて在籍した。「ぶらぶら節」は、桃勇さんのレパートリーの一つでもある。
 踊りの伴奏をする「地方」として、今も大きな宴席には欠かせぬ存在だ。お座敷のかたわら、後進を指導し、地元の愛好家にも端唄などを教えている。
 「長崎に伝わる座敷唄を後世に伝えたい。自分が生きた証拠を残したい」という思いから、「長崎座敷唄」にこれまでなかった流派を作ることを考えついた。家元を名乗ることで、特に若い人が長崎伝統の料亭文化に関心を持ってほしいと願う。
 長崎の座敷唄は「明けりゃクルスの鐘がなる」「あれはオランダなつかしや」など、異国情緒を感じさせる歌詞もあるのが特色だ。
 戦後の全盛期、芸子衆は100人ほどいて、2次会、3次会と朝まで宴会が続くこともあった。
 それが今では20人ほど。料亭の減少や不景気で、座敷唄を披露する機会も歌える人も激減した。
 「このままでは愛八さんが大切にし、お姉さんたちが教えてくれた唄が消えてしまう」。危機感を募らせ、2009年には自身の演奏を収録したCD「長崎検番・桃勇御座敷唄集」を自費制作した。
 「ほとんど歌われなくなった座敷唄もある。流派旗揚げをきっかけに、多くの人が座敷唄に興味を持ってくれればうれしい」と桃勇さんは話している。
 越中理事長は「かつて長崎は九州における音曲の中心だった。そこに伝わる歌を数多く知っている人が、それを後世に残そうとするのは意義のあることだと思う」と評価している。


自宅玄関に弟子のるり羽さんが「家元」の看板を掛けるのを、
同じく弟子の三勇さん(中央)と見守る桃勇さん(右)=長崎市丸山町


asahi.comより