【花形出番です】 文楽三味線・鶴澤寛太郎さんpart3,4

(産経ニュース)
(3)心底難しい太夫の女房役
 文楽の三味線は、よく太夫の女房役に例えられます。語りを助け、時にリードし、物語の情景や空気を作り、それぞれの登場人物の心や動きを音で表現しなくてはなりません。
 だからこそ、三味線は本当に難しい。弾き分けは僕らの存在理由ですが、そういう意識を持って取り組んでも、実際に弾けるかは別問題。さらに、お客さまに届くかは、もう一段階先の話で、ステップは多いです。
 太夫との共同作業ではバランス感覚も問われます。「気遣いでけへんやつは三味線弾き、やられへん」とよく言われますが、出過ぎることは簡単です。太夫の芸風やその日の体調も考え、どう語りを支え、お尻をたたき、寄り添うか。そのさじ加減が求められます。
 連れ弾き(複数の三味線の合奏)に付くときも、芯の三味線が弾き方を変えれば、それに対応できる選択肢を持っていなければいけません。三味線を弾くことに手いっぱいで、技術うんぬんという段階は素人に毛が生えた程度。技術面、心構えともに、非力ながら自分なりの準備を重ねた上で、本番の舞台で全方位に神経を研ぎ澄ませ、稽古とはガラッと変化する本番の舞台で、もう一回練り直す。これが将来結実すると信じています。
 舞台で太夫とけんかせず、道を整え、光を灯せるのがプロの三味線弾きだと思います。考えれば考えるほど迷いは深くなります。


(4)20代のうちに挑戦したい
音楽はカラオケを含め、大好きです。楽器もいろいろ演奏したい。平成26年、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)(阿古屋(あこや))」で琴、三味線、胡弓の三曲を演奏できたのは、シンの三味線を弾いた祖父(文楽三味線の人間国宝鶴澤寛治)のおかげですが、いい勉強になりました。文楽の三味線弾きはたくさんの弦楽器を演奏しますが、結局は三味線が好き。
 でも、10代半ばまでは辞めることも考えました。学校は早退・遅刻、楽屋や舞台では何をすればいいか分からない。何もかも中途半端で、居場所がない、と悩みました。
 迷いながら高校に入学後、「もう辞めへんやろ。安心したわ」という祖父の言葉が漏れ聞こえてきた。弟子は僕だけですし、何より孫。ここまでしてもらった以上、辞めることはできない、と腹を決めました。
祖父にあこがれ、この道に入った以上、名前を絶やさず、継承する責任はあると思っています。ただ、歴代寛治はみな名人で、先代も人間国宝。あまりに大きな責任で、襲名は全く想像がつきません。
 今年8月12日、東京・渋谷区文化総合センター大和田で、初の「鶴澤寛太郎の会」(チケットは5月頃発売予定)を開催します。20代のうちに挑戦したい、精いっぱい背伸びをしたい、と「絵本太功記」から尼ケ崎の段を選びました。迷い、模索しながら、空気や香りのある三味線を追求し続けるつもりです。