【花形出番です】 文楽三味線・鶴澤寛太郎さんpart1,2

(産経ニュース)
(1)祖父の「曲弾き」受け継ぐ
国立劇場(東京都千代田区)で6日に開幕した二月文楽公演の第2部「関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)」で、三味線を回したり、頭上で弾くなどする「曲弾(きょくび)き」をしています。

 大坂の人気力士の八百長を題材にした物語で、豊竹嶋大夫師匠(人間国宝)の引退披露狂言でもあります。吉田簑助師匠(人形)、祖父の鶴澤寛治師匠(三味線)と、人間国宝3人が勢ぞろいする貴重な舞台に参加させていただけるだけで光栄です。

 1月も国立文楽劇場大阪市)で、同じ演目で曲弾きをしましたが、年末の舞台稽古では何もかも成功せず、師匠をはじめ、周りの人たちを心配させました。不器用でしんどい思いをしましたが、1月3日の公演初日、初めて大きなミスなくできた。お客さまが息を詰めて注目してくださっているのが伝わり、お客さまの拍手に助けられました。
曲弾きは、祖父が受け継ぐ竹澤家(寛治の前名は竹澤團六)の芸です。過去には、三味線の胴を破り、中から万国旗を出した人までいたそうです。僕も燭台(しょくだい)のろうそくで弾こうかとも考えたのですが、消防法の関係で断念しました(笑)。

 太棹(ふとざお)三味線の音の多様さや櫓太鼓(やぐらだいこ)を表す打楽器的な部分が伝わるよう、間(ま)の取り方や、細かい指使いの精度を上げ、音をクリアに届けられるよう気をつけています。でも、客観的に後で聞き直すとまだまだ。日々、修正を加え、祖父の教えを受け継ぐつもりで演奏しています。(談)


(2)祖父の「音色」に憧れて 
もとは祖父(文楽三味線の人間国宝鶴澤寛治)に琴を習っていたんです。6歳から弟2人と3兄弟、同じ奈良県内に住む祖父の家に毎週日曜日、通いました。3人とも家で復習をせず、怒られる日もありましたが、稽古後には必ずお小遣いをもらいました。琴を嫌いにならないような祖父の工夫だったと思います。

 文楽の舞台も「おじいちゃんの舞台を見た後、ご飯行こう」と連れられ、客席でよく寝ていました。たまたま起きて聴いていた10歳のあるとき、幸か不幸か、道行(複数の三味線が並んで演奏する曲)で、祖父の音だけ異質な音に聴こえたんです。

 祖父の三味線は圧倒的に潤いがあって、美しかった。力強く男性的と表現されることが多い楽器ですが、色気と女性を感じさせる魅力的な三味線だと思ったんです。

 琴より三味線の方がええなぁと思い、母に「僕、三味線の方がええわ」と言ったら、猛反対されました。母(寛治の次女)は曽祖父(六世寛治)と祖父を見て育ち、この世界の厳しさをよく知っています。
でも、僕は文楽が好きというより、祖父のような音が出したいから、祖父に三味線を習いたかった。祖父に手をついて、「三味線をやらせてください」と言ったら、すごく喜ばれました。初の三味線の稽古で、祖父はずっと笑顔でした。

 2年後の正月、祖父の七世寛治襲名披露(平成13年1月)で、当時13歳の僕も『蔵下屋敷』の琴で初舞台を踏みます。「師匠と弟子」に関係が変わり、褒められることも小遣いもなくなりましたが、音に憧れる気持ちは変わりません。(談)