三味線製作の職人

西日本新聞
民謡の代表的な伴奏楽器は弦楽器の三味線である。三味線の起源について定説はないが、説の一つとしては江戸時代に中国から入った三弦を和風に改良し、進化させたものと言われている。

 民謡は本来、歌だけであった。ギターの仲間である三味線の伴奏が付くことで民謡を現場だけの作業歌としてだけではなく、聴き手のある「音楽」として成長させた。民謡は座敷歌としてもてはやされ、昭和初期に始まったレコード文化にも大きく寄与することになる。

   

 福岡県八女市の紺屋町通りに和楽器を扱う「志げとみ楽器」がある。店に入ると、材料や制作途中の三味線が所狭しと並んでいた。横では接着剤の膠(にかわ)が煮込まれていた。

 「70年前に親父が始めた店です。和楽器の需要が少なくなっていますが、家族で守っています」

 2代目の重冨久邦(68)は言った。弟の清、息子の勝洋の3人で三味線を製作している九州でもごく少ない店だ。一言で三味線といっても民謡、長唄浄瑠璃など用途によってそれぞれ長さ、大きさが違う。

 重冨は大学時代から父の見習いとして修業し、卒業後はそのまま店に入った。

 三味線は棹(さお)と胴と皮から構成されている。材料の木はインド、スリランカ原産の銘木の紅木(こうき)だ。自生の紅木の減少で現在、輸入規制があり、入手が難しくなっている。

 「江戸時代はサクラなどが使われていたようです。明治時代から使用されるようになった紅木は堅く、ねじれにくく、音の通りがいい」

 店には紅木の在庫があり、それだけでも貴重だ。大体、三味線一丁を仕上げるには10日ほどかかる。もちろん、重冨は三味線を弾くこともできる。

 「製作もそうですが、1番難しいのは調弦です」

 福岡市の博多座での三味線を使う出し物のときは調弦のために呼ばれることも少なくない。また、損傷した場合、「明日の夕方までに仕上げて」といった緊急要請にも応えている。八女市にもかつて200人の芸妓を抱えた検番もあった。父親の代には朝、芸妓から修理依頼を受けて夕方までに届けたこともあったという。

 礼儀作法を含めた稽古事が徐々に日常から消えつつある時代だけに和楽器の製作、販売は厳しい状況だ。重冨は言った。

 「大変ですが、寂しさ、悲しさ、うれしさといった感情を表現できる三味線作りを目指しています」

 父子2代で製作した三味線は千丁にものぼる。

 「音を聴けば『志げとみ』で作った三味線かどうか一発でわかります」

 職人の自信であり、自負だ。